オーバーサイズの眼鏡を掛け、やや年齢と不釣り合いなセーラー服を身に纏ったその女性は20代半ばごろであった。【沖縄県・真栄原新町】

想い出の風俗

日本人の中でもはっきり知っている人はそう多くなないだろうが、この記事を書いている6月23日は沖縄の『慰霊の日』である。第二次世界大戦で唯一地上戦が展開された沖縄では9万人以上の民間人が犠牲となり、日本軍が沖縄で玉砕したこの日が戦後に記念日として制定されたようだ。1945年8月15日に第二次世界大戦は終結し、多くの日本人が過酷な戦後を必死の思いで生き抜いてきた。特に沖縄では明日食べるものもないような貧困に加え、駐留するアメリカ軍による暴行・強盗・強姦など残酷な現実が待ち受けていた。また貧しい生活のために米兵相手の売春婦になる戦争未亡人も数多くいたらしい。そういった一般人への性被害の抑止や周囲への環境を考慮し普天間基地程近くの真栄原地区に売春街がつくられ、いつしかそこは日本人相手の『ちょんの間』へと変化していった。

無口な運転手が静かにハンドルを握るタクシーに乗車して15分程経過していた。行き先を告げた際に『はい』と一言運転手が言葉を発したっきり車内は静寂に包まれている。見慣れないコンクリート造の平屋の住宅が立ち並ぶ車外の風景を眺めながら私は言い知れぬ不安に押しつぶされそうだった。勤務している会社の慰安旅行で沖縄に初めて降り立ったのは旅行当日の午後3時頃だった。空港を出た瞬間に大きく広がる旅行会社のパンフレットのような陳腐な青空には興覚めだったが、同じ日本とは思えない異国情緒が色濃く残る初めての沖縄に少しづつテンションは上がっていった。夕刻の宴会でもそれなりにアルコールを摂取し薄っぺらい蛮勇を手にした私は目的の場所に向かうためそっとホテルを後にした。目に付いたタクシーに飛び乗ると『真栄原新町』と消え入りそうな小さな声で告げた。

タクシーが大通りから路地に入り少しづつ速度を落として走行している。周りには依然として多くの住宅がところ狭しと並んでいる。こんな所に本当に目的の場所は存在するのであろうか。不安と期待、興奮と欲情、様々な感情が表れては消えていく間に、遠くの方にぼんやりとした薄桃色の光が見えてきた。桃源郷と呼ぶには少々安っぽい雰囲気ではあったが、一角を覆うようなその光は淫靡な空気をそこかしこにまき散らしていた。光まであと50mほどのところで不意にタクシーは停まり、料金を支払った私はおずおずと車外に降り立つ。異世界に通じるような舗装の荒い道をゆっくりと進んでいくともう二度と戻っては来られないようなそんな気がしていた。歩を進めるにつれて少しづつ人の気配が感じられてきた。往来する人が多少なりとも存在する事で私は少しの安堵を覚えた。道の両脇には古びた長屋のような建物が立ち並んでいる。入口のアルミサッシの向こう側には肌を過分に露出させた女性が淡いライトに照らされ何をするでもなく座っていた。次々と現れる女性たちは衣装や雰囲気は様々だが総じて若い女性が多い印象だった。気恥ずかしさから直視することができなかった私は視界の端でちらちらと一人ひとり女性を眺めながら延々と歩き続けていた 。売春が全てのこの辺りでは傍らにある自動販売機まで淫靡な光で煌々と佇んでいる。缶コーヒーを一本買い、タバコを吸いながら一気に飲み干すと私は覚悟を決め一軒の店に入っていった。

オーバーサイズの眼鏡を掛け、やや年齢と不釣り合いなセーラー服を身に纏ったその女性は20代半ばごろであった。沖縄には似つかわしくない血管が浮き出るほどの真っ白な肌と妖艶な大きな瞳がとても印象に残っている。学生時代に同級生だったら口を利くことも憚られるクラスのマドンナの様な容姿にいささか緊張を隠せなかった。女性から告げられた驚愕するような安い料金を支払い、導かれるままに奥の部屋へと足を踏み入れるとムッと据えた臭いが鼻を突く。布団と小さなテーブルがあるだけの薄暗いその部屋はじっとりとした妙な空気が充満していた。彼女に促され服を脱ぎ、とうの昔に弾力を失った古びた布団に身を横たえると壁紙の剥がれかけた天井が目に付く。いつのまにか全裸となった彼女はウエットティッシュでおざなりに私の股間を拭き終えると、まだ縮こまったままのそれをつるりと口に含んだ。数分の後すっかり硬直した状態を確認すると、取り出した避妊具を手慣れた様子で淡々と装着する。そっと私に跨り既に準備が整えられていた股間に右手を添えゆっくり挿入すると、彼女の口から空虚な喘ぎ声が漏れだした。単調な動きではあるが膣壁を巧みに使った上下運動に私もついつい呼吸が荒くなる。私は彼女のふっくらとした胸を乱暴に揉みほぐしながら小さなうめき声と共に大量に果てた。大量の白濁液を受け止めた避妊具を手早く外すと再びウエットティッシュで股間を拭い、彼女は服を着始めた。入店してから10分程度のあっという間の出来事だった。

タクシーを拾うため大通りにむかってタバコを咥えながら歩いていた。途中すれ違った数人の男性は先ほどの私がそうであったように今から惨めな性を買いに行くのであろう。この地で数十年にわたり数多くの汚れた欲望と数多くの汚れた金銭が幾度となく等価交換されてきた。必要悪という言葉では片づけられない歴史上の負の遺産に安易に触れた事を後悔している。私が福井に帰ってからもこの営みは人間が存在する限り続いていくのであろう。これは今から20年程前の出来事である。その後2010年に沖縄県警と宜野湾市によって行われた浄化作戦により『真栄原新町』はもう今は存在しない。

2010年代初め、「沖縄の恥部」とまで言われた売春街が、浄化運動によって消滅した。戦後間もなく駐留する米兵たちによる性犯罪や性病の蔓延を緩和するための色街だった。著者は売春に従事する女性、風俗店経営者、ヤクザに綿密なインタビューを敢行。なぜ米兵や県外の観光客までこぞって遊びに訪れた色街は消されたのか? 沖縄の”もう一つの戦後史”を炙り出す比類なきノンフィクション。
門戸 志郎

門戸 志郎

哀愁漂う風俗と酒場を求めて今宵も福井の街を彷徨う… 自らの20年以上に及ぶ風俗体験を徒然なるままに記した『福井風俗体験記』 是非一度ご覧になってください

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