いつしか酔いも回り始め互いに饒舌になり始めた頃、社長の東京在住時の思い出の酒場話がいつものように始まった。上野、新橋・有楽町、渋谷、新宿、池袋、中野・高円寺など方々を飲み歩いたという愉快な話は、ずっと福井在住である私には大変羨ましく興味深い話で飽きることなく耳を傾けていた。そんな社長から見ると、おたんは都会的で洗練された場所らしく私はぼんやり店中を見渡した。カウンターの奥ではニューロックイヤーフェスティバルに登壇していそうな二人組がハイリキプレーンをグラスを使わずに直接ラッパ飲みをしていたり、ロマンスグレーの長髪の紳士はおでんを肴にカウンターコーナーで所狭しと赤ワインを嗜んでいる。はたまた奥の席では顔がそっくりな家族が6人向かい合い、箸の置き場もないほど料理で埋め尽くされたテーブルを囲んでいる。多種多様の人々が各々の楽しみ方で同じ空間を共有している素晴らしく健全な社会が見渡す限りに広がっていた。都会的で洗練された場所という社長の見解に妙に納得した私は店員を呼び熱燗二合を注文をした。するとその中国籍と思しき店員から「カラクチデスカ~?」と聞かれ、私は面食らって空返事をしたと同時に都会の風を感じた気がした。客だけが都会的なはずがない、店員もそして当然店主も然りであると私はそっと小さく頷いた。
昆布の香りが鼻をくすぐり土鍋がグツグツと軽快な音を奏でると、それは食べ頃の合図である。刻み海苔、鰹節、ネギがたっぷりと盛られた薬味碗に醤油を一回ししてしっかり混ぜ合わせて準備ができたら、熱々のきぬ豆腐を呑水に取り分ける。薬味を乗せて箸で一口大に割り吐息で少し冷まして口に含み、ハフハフと声を漏らしながら食べるのが湯豆腐の醍醐味である。出汁の豊かな風味と薬味の爽やかな香りが鼻を抜けてゆくのを感じながら豆腐の柔らかな食感を口内で味わっていると、頃合いを見計ったかのようなタイミングで楽しみにしていた熱燗が運ばれてくる。お猪口に注いだ一献をぐびっと飲み干すと湯豆腐との相乗効果で躰が芯まで火照るのが手に取るようにわかる。間髪入れず二杯目を酌み交わすとじんわりと躰の隅々まで熱を帯びていく感じがして、社長の顔に目を配ると一瞬だが恍惚の眼差しを窺えた気がした。
話題は近ごろ読了した爪切男先生の「もはや僕は人間じゃない」の話から他愛もない雑談へと移り変わり始めた頃、忘れていたカジキの刺身がようやくテーブルに並んだ。ブリの刺身の札の隣に貼られていた同額のカジキの刺身の札を見て大半の人はブリを注文するのだろうが、私にはカジキに強い思い入れがある。普段はあまり俗世な漫画を読まないのだが、美味しんぼだけは別格で「カジキの真価」という話に思わず涙してしまい深みに嵌ってしまったのだ。カジキは脂も少なくさっぱりとしてマグロの赤みを上品にしたような趣のある味わいがなんとも言えない。もちろん左手に握られている辛口の燗酒との相性も申し分ない。満足した胃袋の〆にデザート感覚でカジキの刺身を食すのも悪くはない。むしろ斬新なスタイルなのかもしれない。なぜならここに来る者は“都会的で洗練”されているのだから。