生活感のあるこの部屋は間違いなく普段彼女が起き伏していることを容易に想像させた。【三重県・鳥羽市】 

想い出の風俗

これは今から10数年ほど前、得意先の招待旅行で三重県を訪れた時のことだ。10名ほどでバスに乗りさびれた観光地をいくつか周遊するといったありがちなバス観光である。長時間の乗車による腰の鈍い痛みと共に旅館に到着した頃にはもうすっかり陽も沈み始めていた。鄙びた温泉で汗を流し浴衣に着替えあまり気乗りしないまま宴会場へとのそのそと向かっていった。宴席には2人ほどのコンパニオンも同席しており上座の方では多少盛り上がっていたようだったが、元来大人数での会食が不得手である私は申し訳程度に出された伊勢海老を肴に一人手酌でちびちびとビールを吞んでいた。程なくして中締めとなり幾人かは二次会会場へと移動していったが、私はこっそりと旅館を後にした。私は県外に出向くとその土地その土地の風俗を堪能するのが常である。開高健曰わく、“知らない土地に来たら、娼婦を抱け。抱けばその土地の半分以上はわかったことになる。”この言葉を胸に刻みそして実践もしていた。しかし、いかんせんその日は大部屋である為にデリバリーしてもらう訳にもいかず、初めて訪れた場所で全く土地勘も無い私は基本に立ち返りタクシーの運転手に訪ねることにした。旅館の前に数台停まっていたタクシーの一台に目をつけ乗り込むと、おそらく60代であろう人の好さそうな運転手に目的を告げた。運転手は携帯電話を手にとり何本か電話をかけると、段取りがついたのだろうか車を発進させた。他愛もない雑談をしながら20分ほど走ると一軒のスナックの前で車が停まった。まだ23時前だったと思うが看板の灯は落とされひっそりとしたその佇まいには地方風俗らしさがにじみ出ていた。

店に入ると妙齢の女性がタバコをふかしながらカウンターにぽつりと腰掛けていた。物憂げな態度で飲み物を尋ねられた私はウーロンハイを頼むとゆっくり店を見渡した。かなり年季の入った店内は場末のスナックそのものでなんだか妙に心が落ち着く。やがて彼女が持ってきた薄いウーロンハイに口をつけると私もタバコを口に咥えた。曖昧な記憶だが料金は45分30,000円くらいだったような気がする。いささか高額ではあるが運転手のマージンも含まれていると考えればそれほど気にもならず、すんなり彼女に代金を手渡した。10分ほどすると20代半ばくらいの女性が静かにやってきた。場末のスナックには似つかわしくない美しい姿にやや面喰ったのを覚えている。女性に手を引かれ裏口から外に出ると、うらぶれた小さなプレハブの建物が現れた。靴音がやけに響く塗装の剥げた外階段からそっと二階に上がりドアを開け部屋に潜り込んだ。四畳半ほどの小さい部屋の床には炬燵や布団が押し詰められ、台所と思しき場所の周りには安っぽい鍋や茶碗が所狭しと配してあった。生活感のあるこの部屋は間違いなく普段彼女が起き伏していることを容易に想像させた。1メートル四方ほどの小さなシャワールームでおざなりなシャワーを済ますと、布団に横になるよう促された。プレイに関しては全く覚えていない。ただこの異様な状況にとても興奮していたことだけははっきりと覚えている。事が終わり服を着た私にむくむくと沸き上がってきたのは下世話な好奇心であった。マナー違反であることは重々承知していたがその感情を抑えきれず、先ほど払った金額のうち何割が彼女の取り分なのかをつい尋ねてしまっていた。返ってきた答えは私の予想を遥かに上回るもので今でもはっきりと覚えている。彼女の話を要約するとこのようなものだった。

「お金は全く手元には入らない。代わりに1スマイルが貰える。スマイルをいくつか貯めるとここから出ることができる。」

事実は小説よりも奇なり。ここでは賭博破戒録カイジのペリカのような独自の通貨「スマイル」が流通していたのだ。そして帝愛グループのような金融機関から借金をしているであろう彼女は地下帝国ならぬこの場末のプレハブで強制労働に従事させられていたのであろう。彼女の話がどこまで真実かわからないがこれ以上聞くのは空恐ろしくなり私は足早にその場を後にした。あれから10数年が経過しているが彼女は無事スマイルを貯め終わっただろうか。そしてあの場所から解放されて本当の笑顔を手に入れている事を願ってやまない。

門戸 志郎

門戸 志郎

哀愁漂う風俗と酒場を求めて今宵も福井の街を彷徨う… 自らの20年以上に及ぶ風俗体験を徒然なるままに記した『福井風俗体験記』 是非一度ご覧になってください

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