フロントガラスを打ち付ける雨がまた一段と強くなったようだ。閉店間際のスーパーマーケットの駐車場には、もはや数台の車しか見当たらなかった。1時間ほど前から降り出した雨のせいか車内はやけにムシムシする。私は季節外れのエアコンのスイッチを入れ、時計に目を落とした。電話をかけてから20分は経過している。辺りはすっかり闇に包まれ、よほど近づかないと車の色を識別するのも難しいだろう。雨粒に反射する光がまた一つ消えた時、一台の年季の入った軽自動車が私の車の前をゆっくりと通過していった。運転手がこちらをジロジロ眺めている姿がフロントガラス越しにぼんやりと見てとれる。まるで値踏みをされているようで若干の不安が沸き起こったが悟られぬよう平静を装った。私の前を数メートルほど進んだところで車は停まり後部座席のドアが開いた。降りてきた女性は手早くビニール傘を開くと私の車に近づき助手席のドアを少し開け不安そうに名前を尋ねてきた。私が小さく頷くと女性は今までの緊張した面持ちが嘘だったかのように明るい笑顔を見せた。
「夏木です。今日はよろしくお願いします」助手席に乗り込んだ彼女は透き通った声で私に挨拶をした。私の胸中にあったさっきまでの不安や警戒、緊張がすっと解けていくのが手に取るようにわかる。どんな仕事でも挨拶は大事だ。たとえ仕事用の作られた仮面であっても彼女の人となりが垣間見えたような気がした。
ラブホテルへ向かう車中で女性と過ごすたわいのない時間、これこそが待ち合わせ型の醍醐味である。私は彼女の雑談に適当な相槌を打ちながら視線の端でチラチラと頭の天辺から爪先まで見回した。値踏みをするようで気は引けたが、さっきのドライバーへのお返しだと思うと罪悪感は幾分かやわらいだ。やや浅黒い肌にクリっとした瞳が浮かぶ。丸く小さな鼻はうっすらと街灯の光を反射している。脂性なのかもしれない。ずんぐりとした体形を覆う花柄のワンピースはサイズが不釣り合いで体のラインがはちきれんばかりに強調されていた。
行き慣れたラブホテルの駐車場に速やかに車を停めると階段を静かに上る。私の腕をそっと掴む彼女の掌からは温もりが感じられた。所々塗装が剥がれ古びた小さく軋む鉄扉を開くと私はおもむろに革靴を脱ぎ、そのまま真っすぐに部屋に向かった。これはわざと靴を揃えずに女性のしぐさを観察する私の性根の悪さが如実に表れたトラップである。他人の靴を揃えることができる女性は意外なほど少ない。また、これができる女性は地雷の確率が低い…というのが長年の経験で培った私なりの法則である。彼女は靴を脱ぎ揃えると当然のように私の靴も揃えてくれた。その所作への小さな喜びとトラップを仕掛けた後ろめたさで居た堪れなくなった私はソファにドカッと腰掛けて電子タバコを咥えた。
テキパキとお風呂の準備を済ませた彼女に服を脱ぐよう促された。彼女が裸になるタイミングに合わせて私も下着を脱ぎ終わるように気を配るが、いつも私の方が早く脱ぎ終わってしまう。一人先に裸になった私は下着に手をやる彼女を見るともなく眺めていた。“男の顔は履歴書”などと言われることがあるが女の裸こそ履歴書だ。やや左右に広がりぼってりとした乳房、私好みではないか。お尻も大きめで安心感に満ち溢れている。つげ義春の漫画に登場する女性の裸体の様に妙な色気がそこにはあった。
そんな彼女だがベッドの上ではいたって凡庸であった。期待値が高まり過ぎていたふしもあるが、それを差し引いても取り上げるべき点のない一般的なプレイだった。私が追い求めているものはリアリティのある人妻感であって、リアルな人妻ではないということに今更ながら気づかされた。
ラブホテルを出ると雨も幾分弱まっていた。雨は朝までには上がり明日は晴れるようだ。帰りの車中、先ほどまでのプレイを反芻しようとしたが何も思い出せなかった。